カテゴリー「人間中心設計(ヒューマン・センタード・デザイン)」の記事

2011年9月30日 (金)

7日間でマスターするレイアウト基礎講座 (DESIGN BEGINNER SERIES)

電池というと単三電池が標準だと思っている私が八橋壮太朗です。デカイのが単一、小さいのが単四。標準が単三。

今日は、本棚にあった良書のご紹介。この本は断裁してスキャンするわけにはいかない。本としてしっかり本棚にしまわれています。

視覚デザイン研究所「7日間でマスターするレイアウト基礎講座 (DESIGN BEGINNER SERIES)」
文末のアマゾン該当ページより引用。

内容(「BOOK」データベースより)
デザインとかレイアウトという仕事は、特別な訓練を受けた、特に感性の鋭い人しかタッチできない仕事と思われがちだ。しかし本書を読めば、それは錯覚だった、ということがわかる。ごく基本的なことを理解すれば、実は身近で使いやすい技術であることがわかる。謎に包まれていたレイアウトを、一気に身近な技法にしよう。本書では第1日目から第4日目までで「様式」がどのように決まるかを解説した。次に第5、6日目は、絶対にマスターしたい造形の原則を図説し、第7日目は、次のステップへのヒントを紹介している。
内容(「MARC」データベースより)
レイアウトは誰にでもできる。レイアウトの「様式」がどのように決まるか、絶対にマスターしたい造形の原則、形を作り出すヒントといったレイアウトの基礎が7日間で習得できるようまとめる。

視覚デザイン研究所の出版物をはじめて知ったのも、この本からでした。ほんと良い本です。

良いと思うところはイッパイありますが、なんと言っても実例ばかり並んでいること。
レイアウトの、どういう狙いがあったら、こういうレイアウトになると思うよ、というのが出ている。
そして、狙いが無かった場合のレイアウトは、こういうダメな感じになるよ、というのも出ている。
どちらもキッチリ見せてくれる。しかも、狙いと具体例に説得力があって、なるほど!と思う。とくに、なにもレイアウトの勉強をしたことがなかった、あの頃の俺にはそんな存在でした。

ちゃんと意図があってレイアウトをする、というのが大事だと気づく。レイアウトやデザインの勉強はしたことがないけれど、発注することがある、なんて人には最も良い本だと思います。デザイナーに依頼するときに、どう伝えればいいのかが不安な人は、これで基本が分かります。

中学・高校の美術科とかで教えるべきでしょう、この内容は。


7日間でマスターするレイアウト基礎講座 (DESIGN BEGINNER SERIES)

2011年9月23日 (金)

構造化ユーザインタフェースの設計と評価―わかりやすい操作画面をつくるための32項目

高校を出ると、「画鋲」という言葉をまったく使わなくなった私が八橋壮太朗です。

長いタイトルの本ですが、ユーザーインタフェースについての本を取り上げます。
「構造化ユーザインタフェースの設計と評価―わかりやすい操作画面をつくるための32項目」

後述のアマゾン該当ページより引用。

構造化ユーザインタフェースの設計と評価―わかりやすい操作画面をつくるための32項目
山岡 俊樹 (著), 藤原 義久 (著), 鈴木 一重 (著), 人間生活工学研究センター (編集)

内容(「MARC」データベースより)
現場でも使いやすく予備知識が不要で、初心者でも活用できる新しいユーザインターフェース(UI)の設計・評価方法。具体的なノウハウとして、事例や図表、チェックリストを多く用いてわかりやすく解説。〈ソフトカバー〉

この本は、10年ぐらい前にリリースされたもの。この本の真骨頂は、インタラクションを実際に考えてみる内容が細かく書かれていること。どういう画面が現れて、どういう表示がされて、どういうアクションを誘導するか。それをシステマティックな分類をしていって、目的に応じて優先順位をつけていったり、目標達成できる割合を順位付けて数値化してみたり。ともかく具体的だ。

デザイン性については、あまり触れてないけれど、あるシステムや、あるツールが使われる実際のシーンで、いかに効率的であるか、いかに道具として目標達成をサポートできるかという視点で書かれている。

本当は、メンタルモデルやヒューマンエラーについて考えたり、デザイン性や感性を考慮していくのが良いんだけれど、最初はこういう「システムとインタラクションの結びつき」「道具としての目標達成度」みたいなものから入ってみて、やってみて、理解するのが最初のステップだと思う。

この本は、オーソドックスなシステム、万人に利用されるツールにおけるインタラクションの構造を紹介してくれているので、歴史として知るにはとても良い本です。たとえば銀行ATMのインタラクション。FAXのインタラクション。ケータイ電話(ガラケー)のインタラクション。時代背景から考えても、新しい情報通信ツールの誕生とともに、どう社会に浸透させるかを考えながらインタラクションを検討していた人たちの工夫や考え方が理解できる。ベーシックな視点で、日本人らしい工夫の仕方が垣間見れる。この本を読んだ上で、さらに上位概念や、新しいインタフェースの考え方を取り込んでいくのがいいと思います。


構造化ユーザインタフェースの設計と評価―わかりやすい操作画面をつくるための32項目

2011年8月23日 (火)

「アフォーダンス ― 新しい認知の理論」佐々木正人

ポカリスエット大好き八橋壮太朗です。

「アフォーダンス ― 新しい認知の理論」佐々木正人を読んだ。

アマゾン該当ページより引用

出版社/著者からの内容紹介
私たちは世界をどのようにして見,聞き,感じ取っているのだろうか? アフォーダンスは,この問題に対する認知科学の最新の解答である.人工知能やインターフェースの設計にも大きな影響を与えるこの理論を平易に解説する.
内容(「MARC」データベースより)
情報は人間をとりまく環境そのものの中に実在している。現代の認知科学や人工知能に決定的な影響を与えたギブソンの革新的な認知理論。キーワードである「アフォーダンス」を軸にやさしく紹介する。〈ソフトカバー〉

ドナルド・A・ノーマン「誰のためのデザイン?」で広く認識された「アフォーダンス」について、おさらいするために読みました。

前半はアフォーダンス理論を完成させたジェームス・ギブソンの取り組みを紹介。
ギブソンは、情報は光の中にあるとして、人が何かを認識するときには光が重要な要素だとしていた話。
そこから中盤は、知覚、何かを感じるということ(いわゆる五感)は、触覚や聴覚という個別の認識の話ではない、その感じるときの全体、環境が重要だと説く。
そこからアフォーダンスの話に入る。
アフォーダンスについて特に重要と思う箇所を引用してご紹介。

「すり抜けられるすき間」、「登れる段」、「つかめる距離」はアフォーダンスである。 アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである。アフォーダンスとは良いものであれ、悪いものであれ、環境が動物に与えるために備えているものである。アフォード(afford)は「~ができる、~を与える」などの意味を持つ動詞であるが、英語にアフォーダンス(affordance)という名詞はない。アフォーダンスはギブソンの造語である。 アフォーダンスは物事の物理的な性質ではない。それは「動物にとっての環境の性質」である。アフォーダンスは知覚者の主観が構成するものではない。それは環境の中に実在する、知覚者にとって価値のある情報である。 物体、物質、場所、事象、他の動物、そして人工物などそして環境の中にあるすべてのものはアフォーダンスをもつ。動物ならばそれらにアフォーダンスを探索することができる。 環境にあるものは、すべてアフォーダンスの用語で記述することができる。

ここだけ引用しても、何のことかサッパリわからない方は、本書を買いましょう。いい文脈で、具体的な例をつかって教えてくれます。
アフォーダンスという言葉の発祥と、どういう使い方をするのかが、わかる本です。

私はザックリ簡単に連想したアフォーダンスというのは、Windowsにおける右クリック。Macで言うところのコンテキストメニューだと思う。あるモノや事が、ただ存在するだけで、それが食べるものなのか、ちぎれるものなのか、その存在から自ずと訴える性質、特徴などのこと。

モノやコトの「ありかた」を考える上で、アフォーダンスという考え方はとても重要です。
そこから使い方やデザインが検討されるべきでしょう。

…自分で書いてて、うまく説明できてないので、この本買って読んでください。。。。

アフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))Bookアフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))

著者:佐々木 正人
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


2011年6月 9日 (木)

情報アーキテクチャ(IA)

今日はロックの日。鍵(ロック)の日でもあるらしく、空き巣が心配になる私が八橋壮太朗です。金目のモノはありませんよ。。

今回は情報アーキテクチャのお話。
いや、お話じゃないですね。
この本いいですよという話。

IA100 ―ユーザーエクスペリエンスデザインのための情報アーキテクチャ設計BookIA100 ―ユーザーエクスペリエンスデザインのための情報アーキテクチャ設計

著者:長谷川 敦士
販売元:ビー・エヌ・エヌ新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

長谷川さんは株式会社コンセントの方。今もっとも注目している会社です。人間中心設計の理念をビジネスにしながら、しっかり先を見据えた活動を多方面に行っている会社でしょう。こちらの会社がキッチリ儲かる世の中になっていかないと、日本の先進性は否定されたのも同然でしょう。なんて勝手に思っております。

気づけばUXD initiativeという、「千葉工業大学を拠点に5月20日に発足したユーザーエクスペリエンスデザインの研究会」に協力されるとのこと。
この分野は産学協同というか、産業と社会に密接に関わるものですから、どんどん活発に活動していただきたいものです。
でも、変な熱というかブームみたいなものに襲われるのはマジ勘弁、ってことですが。

ユーザービリティもブランディングも、「オマエらのWebのユーザービリティはどうなのよ?」「オマエんとこ自身のブランディングはうまくいってんのかいな?」と言われてしまう感じで、自ずと発展にブレーキがかかりそうなものですが、どんどん頭のいい方々にリードしていっていただきましょう。

2011年3月 1日 (火)

(1)人間中心設計を知ろう 「誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論」ドナルド・A. ノーマン

こんばんは。八橋壮太朗です。

学生のころ、私はユーザーインタフェースの勉強を少ししていました。当時はi-modeが一気に広まっていた時期で、自分で携帯サイトを作って、操作のしやすさとか、わかりやすさとかを分析したりしてました。そのときに、いろいろ情報を仕入れていて出会ったのが「人間中心設計」というものでした。

で、人間中心設計という言葉は、日本語で読むとイメージがしにくくて、わかりづらいんです。でも英語で聴けばわかりやすいと思います。

Human Centered Design。
ヒューマンセンタードデザイン。(ちゃんと、外国人っぽく発音で)
ヒト主体のデザインとでも言えばいいかもしれません。
もっと言うと、「利用者が主体のデザイン」をする方法論、やり方、考え方と言ってもいいでしょう。
PCDAという言葉を知っている人なら、そういうタイプのものだと思ってもらえればいいと思います。
要は、利用者が使うものは、利用者の目的に合わせましょうね。利用者に試用してもらって、悪いところは改善しましょうね、みたいな。こういうやり方そのものを指すんです。

そして設計・デザインというと、アートの話かと思うでしょう。これは、近い部分もあるけれど、基本的に別モノと考えていいです。
なんとなくデザインするのはやめましょうね。モノは使ってもらってナンボ。使ってもらうためのデザインを、考えましょう、やってみて試してみましょうね、ということです。

で、ユーザービリティなんて言葉もでてきたりするわけですが、言葉の定義が人によって違っていたりします。

でも、この「ユーザービリティ」の定義は、はっきりいって、いい加減でいいんです。いろんな意味で、「使いやすさ」だと思ってていいです。使いやすさって、個別に状況で違ったりするもんです。誰にとっての使いやすさか?何をするための使いやすさか?そんなのは色々じゃないですか。人生いろいろ、年金もいろいろなわけです。

で、この人間中心設計や、ユーザービリティそのものを知る前に、「使いやすさって何だろう?」ということを、一度考えてみましょう。
はい、ここで出てくるのが、こちらの本。


その筋ではチョー有名な本です。伝説の書です。
まったく堅い本ではありません。ハードカバーですが…。
新しいモノの見方、考え方を知りたいと思って読むと、ものすごくいいです。

先に誤解の無いように言っておくと、ユーザーインタフェースとかって、パソコンとかでマウスとかで、iPhoneなんかだとタッチパネルで、みたいな話だと思うじゃないですか。まあ私は最初、そう思ってたんです。
でも、使いやすさの研究ってもっと昔からされていて。
だいたい機械(マシーン)なんです、研究対象って。だって、新しい道具って、使い方がわからないじゃないですか。ねえ奥さん。
ツイッターとかフェイスブックとか、人に説明するの難しいじゃないですか。そういうことなんですよ。
で、使いややすさの研究っていうと、たとえば電話機。FAX。たとえば、銀行のATM。んでもって、自動車とかね。
そういうもんだったんです。

というわけで、ノーマンさんの「誰のためのデザイン?」は、そういう機械とか自動車とか、道具の使いやすさって思って読んでいったほうがいいです。
いきなりGUI(グラフィカルユーザーインタフェース)の話があると思ったら大間違いです。

2010年6月10日 (木)

Apple、iPhone、Twitter、Ustream。デジタル・ハブ構想とその先。根底にあるものは人間中心設計。

小津安二郎生誕百年を記念した松竹映画「珈琲時光」(侯孝賢監督)を見てノスタルジックに浸っている私が八橋壮太朗です。

人間の知恵はスゴい。
Apple、iPhone、Twitter、Ustream。企業、製品、サービスの本命たちが出揃った。

キーワードはいくつも読み取れる。

共通することは、デジタルのハードルを下げていること。人間中心設計(HCD、ヒューマンセンタードデザイン)の思想が根底にある。日々、製品もサービスも、人のやりたいこと・目的に合わせて洗練されていっている。すばらしい技術(とくにデジタル技術→情報技術)を、わかりやすく、直感的で、魅力的で、自然に使えるものにしている。ライフサイクルに合うし、忘れっぽい人でも使える。それは機能だけではないということ。いつでも・どこでも・だれでも(Anytime,Anywhere,Anyone)を超える、エーテルとも言える空気感。その構想と構築を具体的に提示するアップルが果たしている役割は大きい。

勝手に読み取ると、コンピュータ会社のアップルは、使いやすい、わかりやすい、クールなパソコンメーカーを目指していた。
もともと知識が無ければ使えなかったコンピュータ。
それを、直感的なインタフェースを実装することで、プログラムを記述できなくても使えるようにしていった。
パソコンが生活を変える。音楽が作れる、絵が描ける。文書が作れる、表計算ができる。
そこまで来て、今度はネットワークに繋がるようになった。
データを共有できる。メッセージが後れる。情報を検索できる。
インターネットが普及して、パソコン通信の時代も終わった。情報の発信も受信も管理も、フリーになっていった。
アップルは、その都度その都度、クールなツールを目指していた。

しかし、いわゆるウィンテル連合にシェアで圧倒的に負けていた。
今振り返ってみれば、コスト競争という意味と、システムの完成度でウィンテルは勝っていた。
購買対象は、専門知識がそれなりにあるユーザー。そして、スペックと価格のバリエーションが豊富にある「だけ」だった。
アップルは、iMacを投入し、ハードの魅力で巻き返しを図った。ソフトウェアも、従来のOSから、新しいMacOSXを開発するようになった。
人気は出たが、ハードとソフトが魅力的になっても、まだ足りないものがあった。
このころ、アップルは、ある戦略を発表する。

時代はWeb2.0に突入する。
ハードとソフト、そしてサービスの時代に突入する。同時にモバイル時代にも突入する。
ハードに依存しない。ソフトに依存しない。人々はコミュニケーションツールを求めた。
しかも、それはハードウェアとしてのツールから、メールやチャット、メッセンジャー、通話というサービスツール、ソフトウェアツールを求めていった。

このとき、購買対象は、専門知識があるユーザーだけではなくなっていた。
そしてスペックと価格のバリエーションで形成される「ハードウェア+ソフトウェア市場」から、どのサービスが、どのシーンで(いつ、どこで)利用できるのかという「ハードウェア+ソフトウェア+サービス市場」にシフトした。
まさに、人間中心設計。人の生活が中心だ。

驚きなのが、アップルが2001年に発表した「デジタル・ハブ構想」という戦略。
ここ最近の具現化してきたアップルの存在感は、Web2.0の前に発表したこの戦略に基づいている。

「2001年以降、デジタル・ライフスタイルの時代が訪れる。携帯電話や携帯音楽プレイヤー、DVD装置、デジタルカメラ、PDAなど各種のデジタル機器をつなぐハブ(中心)を担うもの、それがPCだ」とジョブズ氏。「Macintoshは“デジタル・ハブ”になっていく」

思い出すと身震いするぐらい、この戦略の正しさがわかる。

なにより、魅力的で生活が豊かになる。
これが技術者の目指すべきところ。企業のあるべき姿。
その根底にあるのは、人間中心設計の思想。
そう思ってもいいんじゃないだろうか。

2010年5月29日 (土)

パッケージという視点

本は買っただけで満足してしまうことが多い私が八橋壮太朗です。

パッケージは大事です。

自動販売機でジュースを買うとき、何を基準にして選ぶか?とくに、コーヒーとかお茶とか、いろんなブランドから選べる自販機の場合。いつも定番のドリンクがあるなら、それでいいけれど、たまには違うブランドのコーヒーやお茶を飲んでみたい。そんなときは缶のデザインや商品名で選ぶしかない。これが、商品の名前だけだったり、液体としてのコーヒーがそのまま見えるだけだったら、買う気がするだろうか。しないと思う。CDをジャケ買いするのと、理屈は一緒なのだと思う。パッケージで選んでる。

これとは別の意味のパッケージ。
iPadが日本でも発売されたので。
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10547764263.html

ホリエモンが、たまに語っているパッケージ。複数の情報を1冊の本にしているという意味でのパッケージ。これは、もっともな意見だ。音楽のダウンロード販売は1個単位でも買えることを引き合いに出している。アルバムCDみたいな状態で売ろうとしているのが雑誌であって、今はそんなパッケージングは時代遅れじゃないの、という意味だと思う。激しく同意。そしてコメントに寄せられている反対意見は、

曲名など知らない場合とか、その人のコンピレーションから曲を掘り下げていくことは沢山あると思います。
曲を作る行為が創造であることと同じで、曲を選んでコンピレーション盤を作ったり、DJ MIXにする作業も一つの創造だと思います。

誰々のセレクトのセンスが好きなのでその人を信用して買うってのもありだと思います。もっともなことだけど、ホリエモンはそんなこと分かっているのよ、きっと。俺でも思うし。そうじゃなくて、アルバムで「しか」買えないのはもったいない。アルバムであることの付加価値を押し売りしようとしているだけじゃないの?ってことだと思う。いいのよ、コンピレーションもDJ MIXも、iTunesのレコメンドで。ブログの紹介記事とかで。ただ、雑誌は、あまりにも編集部が傲慢な態度で押しうるパッケージングになっているんじゃないの、ということだと思う。ひとつひとつの記事、情報は、雑誌というパッケージからアンバンドルして、切り離して流通できる時代になってるんだよ、ということが言いたいのだと思う。編集部というDJは、記事を選んでうまくまとめてくれている役割である。でも、データ販売の時代は、読者が直接選ぶことも簡単にできる。その手段も一緒に用意すればいいんじゃないのか。もっと言うと、ひとつひとつの記事さえ直接選べれば、DJなんていらないという人も増えるかもしれない。編集権が出版社から読者へどんどん移っていく時代なんだよということが言いたいのだと思う。決して、編集部というDJの役割が要らないと言っているわけでもないし、その仕事の価値はあると思う。でも、その価値は出版流通や出版社のコネクションという既得権の上に成り立っているのだとしたら、電子出版の時代に同じように成立するとは限らないってことだろう。

これとはまた、別のパッケージの話。
マクドナルドの商品を考えてみよう。単品で扱っているけれど、メニューはセットが一番目に付くようになっている。ひとつひとつ、単品メニューしかないことを想像しよう。わかりづらいし、面倒だ。ハンバーガーとドリンクとポテト。このセット商品が、パッケージングだ。パッケージすることによって、店にも客にもメリットがある。このパッケージの仕方が違うだけで、売上や客の煩雑さが変わるのだと思う。

なんだかまとまりのないエントリになっちゃったけど、パッケージという視点でいろいろ考えると楽しい。

またちょっと思いついた。
さっきの音楽の話。コンピレーション盤を作ったり、DJ MIXにする作業を重視するのって、百貨店の魅力を語ることと一緒だと思う。商品一緒、どこでも買えるものなんだったら、百貨店に行かないじゃん?それと一緒だと思う。

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